佐藤上等兵はあわてた。
〈現地入隊で射撃訓練をうけていなかったのか?・・・〉
ふたりのあいだは、九メートルほどはなれていた。
「軽機を投げてよこせッ!」
敵兵に気づかれないよう、低く叫けんだ。中平一等兵の投げた軽機は、その中間に落ちた。上等兵は、取ることができない。五十メートルほど前方の敵兵は掩体(えんたい)へ手りゆう弾を、まさに投げ込もうとしていた。佐藤上等兵が小銃の一発目を発射―敵兵は棒倒しにのけぞった。
芦崎分隊の陣地にあがっていた敵兵が、サッと伏せる。陣地内の兵隊は、外部のことが気がつかないのか、それとも戦死してしまったのか、なんの動きもない。上等兵はタマをこめ、敵兵が立ちあがるのを待った。
敵兵は、仲間を殺したタマがどこから飛んできたのか、わからなかったようだ。ひとりが頭をあげて、あたりを見回し、小腰をかがめて前進してきた。そこをねらって二発目を発射―敵兵は前かがみに倒れた。うしろのひとりは、はって移動する。三発目を撃った。草がじやまであたらない。
見ると、分隊のゴウの上にも敵兵ふたりが姿を現わし、なかへ手りゆう弾を投げようとした。四発目を撃つ―ひとりは、うしろへのけぞる。つづいて撃ったが、五発目は命中しなかった。
ゴウから石塚軍曹が出てきた。彼は自分の上に敵兵がいることも知らず、佐藤上等兵に向かって叫けんだ。
「佐藤ッ!あぶないッ!頭をひっこめろ!」
上等兵は側面に敵が迫った―と思い、タコツボにもぐって、左右を見回した。敵兵はいない。
〈自分のほうこそ、ねらわれているのに、軍曹は、なにもしらないのだ〉
敵は、なんとかして陣地ゴウに手りゆう弾を投げ込もうと、はって迫っている。ねらって撃つ。軍曹が〝注意しろッ〟と怒鳴る。頭をひっこめ、折りをみて撃つ。迫る敵兵の数に、小銃では間にあいそうもない。
「金田ッ!応戦しろッ!」
怒鳴った。だが、朝鮮出身の初年兵は応戦しない。上等兵は夢中で撃つ。軍曹の叫び声が聞こえた。かまわず撃つ。あわてているので、敵兵にはあたらないようだ。だが、そのうちに、敵兵の泣き叫ぶ声がきこえた。
〈負傷したな?〉
と思った。泣き声はしばらく続いていたが、敵は、その泣き声とともに後退して行った。
〈軍曹が怒鳴らなかったら、あと三人も、逃がしはしなかったのに・・・残念なことをした〉
下のゴウで、工藤中隊長に報告しながら、佐藤上等兵は石塚軍曹をうらんだ。
中隊長は、えがおで聞いていたが、村上軍曹に
〈佐藤分隊長の射撃によって敵四人を射殺、一個中隊を撃退せり〉
と書かせ、本部伝令に持たせた。上等兵は、三人より倒さなかった―と中隊長に申したてた。中隊長は
「あれでいいのだ。敵兵が現われるのは、一個中隊か一個大隊だが、そのうしろには一個連隊がきているものだ。一個中隊では、まだ不足なくらいだ。佐藤、おまえは抜群の功だぞ」
(抜群の功で勲章をもらった―ということを満州当時、よく聞かされたものだったが、抜群の功なんて、こんな簡単なことだったのか・・・)
佐藤上等兵には、意外なことだった。
だが、なんとなくうれしいものだなあ・・・
これも実感だった。
コメント