佐藤武夫上等兵(釧路市〇〇)は、戦況報告のためゴウへおりた。ちようどカンパンの配給をするという。めずらしいことだ。上等兵は陣地の兵隊を、ゴウ内へいれ、ひとり五、六つぶずつ割りあてた。兵隊は、ひとかけらも落とすまいと、ゆっくり味わいながらたべ、さかんに雑談にはなをさかせている。みんなニコニコと、たのしそうだ。
外は夜が明けたばかり、激しく雨がふっている。敵の攻撃までにはまだ時間があった。兵隊たちは、一本のタバコをつぎつぎにまわして吸っている。すこしの煙も外へもらさないよう、のどの奥深く吸いこむ。目をまわすもの、元気づいて話のはずむ者など、みんなヒゲも頭の毛ものびほうだい。それでも、心からうれしそうだった。
ニコニコ顔の芦崎分隊長が、四、五袋のカンパンを抱き、佐藤上等兵の前を通りかかった。
「やあ、芦崎、元気か!、タバコをいっぷく吸ってゆけ」
上等兵は、すいかけのタバコをつきだした。
「みんな待っているから、これを置いてきてからもらう。待っていてくれ」
芦崎上等兵は走って入り口から出ていった。間もなく外から手りゆう弾のサク裂音。佐藤上等兵は、入り口の歩哨、金田一等兵に、〝どこだ?〟とたずねた。一等兵は、軍服をぬぎシラミをとっていたが、あわてて服のボタンをかけながら
「芦崎分隊のほうですッ!」
みると、陣地上に敵兵五、六人がのぼり、ゴウ内へ手りゆう弾を投げこんでいる。
「芦崎分隊陣地、馬のりッ!」
上等兵は叫び、工藤中隊長へ連絡に走り込もうとしたとき、奥ののぞき穴から手りゆう弾が投げこまれた。
(中隊本部ゴウも、馬のりされたな)
上等兵は、爆風をまともにうけ、よろめいた。ゴウの奥から中隊長はじめ兵隊が逃げだしてきた。中村軍曹は、テキ弾筒分隊に攻撃を命じた。だが、雨で地盤がゆるみ、発射できない。まごついているうちに、入り口から手りゆう弾を投げこまれた。これで、外へ出ての応戦はできなくなった。
中隊の連絡下士官中山慶松伍長(札幌市南〇〇)は手りゆう弾投げでは、中隊一の腕を持っていた。佐藤上等兵が安全ピンを抜き、中山伍長に渡す。伍長が投げる。サク裂音と同時に敵兵の叫び―敵の手りゆう弾は、ゴウ内へ投げこまれ、サク裂する。上等兵と伍長の間(約五十センチ)に、なにか落ちたようだった。水がたまっていて、足元が見えない。
(もしかしたら、敵の手りゆう弾ではないだろうか?)
中山伍長も、そう思ったらしい。ふたりは、投げるのをやめ、足元を見た。
(手りゆう弾ならアワのひとつも浮いてくるはずだ、ないところをみると、土でも落ちたのかもしれない)
そう思い、佐藤上等兵が、外のほうを見た瞬間、固くまるめたぬれぞうきんのようなもので、顔面をいきなり、強くたたかれたように感じ、爆風でひっくりかえった。同時に
「やられたッ!」
倒れる中山伍長の叫けびも聞こえたようだった。佐藤上等兵は、目が見えない。真っくらだ。
(目をやられたぞ。困ったことになった・・・)
だれかが走ってきた。上等兵は立ちあがり、右手で目をなぜた。明りがぼんやり見える。
(見える・・・見える・・・)
夢中でなぜた。だんだん見えるようになる。顔のどこかが痛い。べっとり血がついている。なぜているうちに、くちびるがきれていることに気がついた。
(たいした傷ではない・・・よかった) 中山伍長は、ゴウの奥へ運ばれていった。
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