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010山兵団出動 行動は夜間だけ 空と海の激闘を望見

西海岸の小禄一帯守備の歩兵第二十二連隊(山三四七四部隊)は、石兵団の指揮下にはいり九日「首里北方へ出撃せよ」との命令を受けた。  十日午後八時―照明弾で、あたりは昼のように明るい。石橋の砲弾のあとまで見える。緊張した将兵の顔に目が光っている...
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009石兵団 大砲も陸揚げ 激戦は目の前に迫る

日本軍は、図のとおり守備していた。石兵団の第六十三旅団独立歩兵第十五大隊第五中隊は約百六十人の編成で、その中に、北海道出身者が、約四十人いた。米軍に身近だったので、生存者は少ない。志田十司夫さん=札幌市北九東十九、国鉄公社二八七=の調査によ...
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008特攻機 散った七百余機 米側六ヶ月も報道禁止

沖縄航空戦に勇名をとどろかした特攻隊員は、山兵団の所属ではない。だが、このなかに、本道出身者も参加しており、沖縄戦の経過上、説明の必要があるので、概略を書き残しておこう。  米軍機が爆撃をほしいままにし、艦隊が砲撃をくわえているのに、日本の...
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007慶良間列島に上陸 艦砲で山も変形 地獄さながら“集団自決”

米軍の空襲は、日を追って激しくなった。沖縄上空に米軍機を見ない日はなくなり、日本軍は、もう空襲警報を出さなかった。“定期便”―そう呼んで慣れっこになってしまっていた。  米軍は、すでに一月二十二日の空襲で、沖縄全土の八〇パーセントを航空写真...
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006元日も空襲 苦戦激闘の前兆 星空にスパイの信号弾

川平部落(北飛行場から五キロ北の海岸、残波岬に近い)で陣地を作っていた野砲兵第四十二連隊(山三四八○部隊)第一中連隊第一小隊は、陣地を十一月に完成、十二月を迎えた。河本上等兵は夕食後、星空をながめ、鼻歌を歌いながらドラムカンの“湯舟”につか...
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005十月十日の大空襲 強い恐怖に震う 友軍機の迎撃も無力

道産子の山兵団各部隊は、北飛行場一帯でそれぞれ陣地構築をはじめた。堅い石灰岩をツルハシとスコップで掘り、モッコで運ぶ。朝の六時から夕方六時まで、一日の休みもない重労働だった。「北海道の兵隊さんは、よく働いた。ふんどし一本、むこうはち巻き、汗...
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004山兵団 満州から大移動 本道出身者の主力部隊

本道出身者の山兵団は十四の部隊で編成されていた。 ▽山三四三〇部隊(満州では六三一部隊)師団司令部=師団長雨宮巽中将。 ▽山三四七四部隊(八八部隊・歩兵第二十二連隊)吉田勝中佐 ▽山三四七五部隊(八○三部隊・歩兵第三十二連隊)部隊長北郷格郎...
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003第三十二軍の編成と作戦 上陸軍に出血戦法 A案にもとづき配備に

第三十二軍は、昭和十九年三月二十二日、南西諸島全域の防衛を任務として編成された。軍司令官は渡辺正夫中将。装備の貧弱な数百人の要サイ(塞)部隊だったが、戦局の悪化にともない、四月一日大本営直轄となった。  五月三日、独立混成第四十四旅団、第四...
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002米軍の沖縄作戦 台湾の孤立狙う 練りに練った上陸作戦

米軍の太平洋作戦の最終的なねらいは、東京から下関にかけての重工業地帯を、破壊することであった。進攻コースは二つ。一つは中央太平洋の島づたい作戦。もうひとつは、南西太平洋を北上する経路。米軍では二十年春に台湾を占領する作戦を進めていた。ところ...
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001米軍上陸 海おおう米艦船 砲弾サク裂続く三時間

「上陸開始!」 米第五十一機動部隊司令官ターナー中将が信号を発した。昭和二十年四月一日午前五時六分。摂氏二十二度。空気は冷たいが、天気は晴れのようだ。さわやかな東北東の風。東支那海の静かな海面。沖縄本島の中部の西海岸・比謝(ひさ)川右岸の上...