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147洞くつ内のまち 雑貨屋など店開き 日常生活をそっくり移す

新垣部落から真栄平部落へ行こうと、藤沢軍曹がごうを出た時、初年兵時代の戦友山尾(札幌)に声をかけられた。彼は武兵団所属だったが、残留になったという。二人は、ごうにひきかえし、同年兵の大勝、小野寺(ともに札幌)小島(静内)藤本(門別)の安否を...
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146荒れた首里 まるで活火山のよう 吹き上げる土砂、鉄片

藤沢軍曹は、その後第二十四師団軍医部(山三四三○部隊)付きを命ぜられ、与座で勤務中米軍が上陸、部隊とともに津嘉山に転進した。 艦砲、爆撃が一日ごとに激しくなる。津嘉山周辺は、ふきあげる土砂、鉄片で活火山のよう。きのうの地形は、もう、きょうの...
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145めし 涙を流して食べる 一ヵ月ぶりの米つぶに

ここ・首里赤田町南側の弾薬ごうの患者収容所内は、せまい内部にびっしり患者をつめこみ人いきれで息がつまりそう。ごう内の坑木や手すりの木は、湿気か、汗か、血潮にぬれて、変なにおいをはなってヌラヌラする。 戦友たちが東風平の炊事ごうから、サツマイ...
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144負傷兵心理 激しく泣き叫ぶ 痛みも柔らぐのか……

沖縄守備の日本軍の末期的現象をつたえたエピソードは、ただ山一二○七部隊にとどまらず各部隊にあった。戦記係は各資料を保有している。 それを、なぜ書かないか―という読者もいるだろう。いうまでもなく、この戦記は、沖縄で戦われた本道出身者の真実を書...
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143山1207部隊 忙しい防疫給水隊 陣地構築や切り込みも

市立小樽病院二○六号室に五月来入院中の村上友之助さん(山一二○七部隊・第二十四師団防疫給水部)の夫人りよさんから二十一日はがきがきた。「主人の病気はますます悪化するばかりで、快方に向かうなどとは遠いものになりました。山第一二○七部隊の最後に...
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142戦車地雷敷設 素手で道路を掘る やみの中、音のせぬよう

大里陣地に残留した山三四八部隊一中隊の伊坂重一兵長(羽幌町築別炭鉱)はどうしたか― 部隊が出発したよく日、戦勝を祈って見送った戦友たちが、ほとんど全滅、工兵はまだ、一人も帰っていない―との情報が、大里の留守隊にはいった。〈デマではないか? ...
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141新聞報道 戦況を詳細に掲載 首里の地下工場で発行

高野伍長はひとりになって、一晩中前線をさまよい、明け方近く石嶺の陣地にたどりついた。前線の日本軍は、昼は地下陣地にはいり、敵の砲爆撃にまかせているが、夜になると猛攻を開始し、戦場の上空は、彼我のタマが激しくいり乱れてキモをうばわれるばかりだ...
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140総攻撃開始 赤尾曹長らが戦死 猛砲撃で前進できず

児玉昶光大佐は山口県出身。二カ月後の六月二十二日、金山均大佐(山三四七六部隊長)と島尻郡新垣の陣地で、軍旗を奉焼ののち、戦車攻撃用爆雷で自決したが、四月末ごろ、かげ口をいう者がいた。「連隊長は、穴の奥に引っ込んでばかりいて、全然、外に出てこ...
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139別れの酒宴 朝まで語り明かす 満州時代の初年兵

四月十五日ごろ、部隊長・児玉昶光大佐は、一同に別れの酒を命じた。夜になって、各中隊は酒もりをはじめた。 一人平均清酒が三合(○・五四リットル)配給になった。平均以上の酒には、現地調達の泡盛が用意された。 高野伍長は、清酒を二合(○・三六リッ...
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138梅沢軍曹 にじみ出る人柄 元気に切り込みの訓練

切り込み訓練は、部隊本部の太田締夫少尉(札幌・幹候出身)を教官に、梅沢喬太軍曹(札幌商業卒・幹候)が助教で行なわれていた。梅沢軍曹は、札商時代剣道部の選手で教官よりも技量は上であった。岡崎見習士官や下士官など、大勢が参加し、練習風景は、まる...